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こんな感じになりそうです。

20100815

 序

 例年よりも暑い夏だった。真っ青な空に映える入道雲も高くそびえ、蝉たちも心なしかいつもよりも騒がしく声を上げる、そんな夏だ。
 彼は夜の乾いた風に身を預けて、天を仰ぎ見る。
 満天の星空に流星を探すのは、いつの間にか彼の癖になってしまっていた。けれど運よくそれを見付けられても、星は願いを掛ける前に夜に溶けてしまうのだ。
 彼はそんな時には小さく鼻を鳴らす。やはり悔しいのだろう。
 そうやって何年も、何拾年も。
 或いは、探しているのは久遠の面影なのかもしれない。
 彼はひとつ、大きな欠伸をする。もう独りで居るのにも飽きてしまったのだろう。屋根の上から見える幾つもの家から漏れる灯が、寂しさを引き立ててしまったのかも知れない。
 けれどそれは詮の無い事だ。
 ふん、と彼はまた鼻を鳴らしてその物憂げな視線を空へと戻した。
 夜の帳は下りたばかりだ。まだまだ諦めるには早いだろう。
 こうして彼は幾千もの夜を越えて来たのだ。
 蒼い月明りの下で。
 ずっと、ずっと独りで。

 壱

 どうやらこれは全く迷路に違いない。
 青年は胸中でそう呟き、大きな溜息を吐いた。袷に袴、足下には下駄を履いているその格好を見るに、どうやら書生のようだ。
 もうどれくらい道に迷っているのだろうか。船を降りたときには真上にあった陽もすっかり傾いてしまった。
 それにしても暑い。袷の下に着ている立襟のシャツは汗でびっしょりと濡れてしまっているし、喉はからからだ。どこか涼しい所で冷たいものを飲んで休みたいのだけれど、なんせ初めて来た街である。そんな気の利いた場所を捜し出せる筈も無かった。
 青年は目的地の住所が書かれた紙を取り出す。なんだか妙に齷齪としたこの街の人間に声が掛けづらかったのだが、こうなればいよいよそのような躊躇いも捨てなければならないだろう。あの御婦人などは優しそうだし、快く道を教えてくれるのではないだろうか、と。そんな事を考えていると青年の背後から声が掛かった。
「先刻から溜息ばかり吐いて。なにか余程困っているように見受けられるが」
 ああ、やはり世の中捨てたものではない。船を降りてから始めて掛けられた声に、青年は嬉々として振り返った――のだが。
「……あれ?」
 振り返った先には、けれども、誰も立ってはいなかった。
 困り果てた余り、ついに幻聴まで聞こえたのかと。そう思い、また取り敢えずは広い道に出ようかと前を向き歩を進めようとしたその時。
「何処を見て居る。此処だ、此処。お主の足元だ」
 ……足元?
 一瞬不思議に思い。ちらりと首だけで振り向き、自分の踵の辺りを見遣った青年が見たものは――一匹の猫だった。
「吾輩が折角助けてやろうというのに其れを無視するとは。全く失礼な奴だ」
 青年は刹那、言葉を失った。
 猫が――喋っている?
「なんだ、お主この期に及んでまだ吾輩の好意を無駄にし、無視を決め込もうというのか。全くけしからん」
 猫はあからさまに不機嫌そうな顔をしてそう言った。
「え……?」
「どうした人間。そのように呆けた顔をして」
 猫の言葉に青年は猫の方に身体ごと向き直ってごくりと唾を飲むと、ようやく喉から言葉を振り絞った。
「……いえ。弐拾余年と生きてきましたが、猫が喋ったのを見たのは初めてだったもので」
「そうか、それにしては驚かないのだな」
「あの、こう見えて私は目玉が飛び出るほどに驚いているのですが」
「吾輩はこれまで九拾九の人間に話しかけたのだが、皆もっと大仰に驚いて見せたのだがな」
 猫はつまらなそうに言った。
「それで、その猫さんが私に一体何の御用でしょうか。道にでも迷われましたか? しかし生憎私も先刻この街に来たばかりでして」
「お主、吾輩の話を聞いていたのか?」
「え?」
「言っているだろう。吾輩はお主を助けてやろうとして声を掛けたのだと」
 猫の言葉に青年の顔が思わずほころぶ。猫とあればこの辺りの道にも詳しいに違いないし、特に急ぎの用がある筈も無い。道案内を頼むには格好の相手と言えるからだ。
「実は、私は下宿先の先生のお宅への道に迷っておりまして」
 青年の言葉に猫はぴくりと髭を動かしただけで、何も言おうとはしない。青年は構わず続けた。
「もしよろしければ、そこまでの道案内をお願いしたいのですが」
 猫は明らかにがっかりした様子で、深い溜息を吐いた。やはり面倒だと言って断られるのだろうかと、青年は少しだけ不安そうな表情を浮かべたのと猫が小さく舌打ちをしたのは、ほぼ同時だった。
「はぁ。随分と小さい人間なことだ」
「ええっと、はい?」
「駄目だ駄目だ。そのような小さな願いなど数の内に入らん。なにか他には無いのか」
「他には、と言いますと」
「だからっ」
 猫はついにしびれを切らせた様子だったが、青年には猫が苛々とする理由に見当すらつかない。
「吾輩はお主に何か願いは無いのか、と訊いているのだ。なにかあろう? 金が欲しいだとか、女が欲しいだとか。今までも大抵の者はその類の願いだったぞ」
「願い……ですか。しかし猫さん、貴方は私の願いを聞いてどうするおつもりなのですか?」
「吾輩がそれを叶えてやると、そう言っておるのだ。ええい、何でも良いからさっさと願いを言うが良い」
 猫の剣幕と、またその言葉に目をしばたかせた青年は少し目を細めて何かを考え始めた。おそらく願いを探しているのだろう。それを見て猫も安心したようだ。
 そして。数十秒の思案の後、困ったように笑いながら青年は言った。
「やはり。道案内をして頂くのが、今の私の最大の願いです」
 猫はきつく目を閉じ、その日で一番深くて長い溜息を吐いたのだった。
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