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「父さんの夏休み」03

20101031

01
02



 父の病室は三階の角の相部屋で、ベッドは四つある。けれど今、その部屋を使っているのは父一人だ。
 死期が近い患者がその病室に移されるという、そんな噂を耳にした事がある。なるほど、父がこの部屋に越してきてからというもの、長い闘病生活にピリウドを打ったこの病室の住人を僕は数人知っていた。
 父はそんなことは知ってか知らずか。穏やかに、只その引越しに応じた。
 
 ――無機質な白が、やけに気に障る部屋だった。

 僕は眠っている父を起こさないように、そっと窓を開けた。空調が効き過ぎていて少し肌寒いだろうと思ったからだ。
 窓を閉めていても聞こえていた蝉の鳴き声が、大きくなった。暑い空気と一緒に入って来た――存在を高らかに示すようなそれで、少しでも父の元気が戻れば良いのに。

 父はこの頃、元気を無くしていた。
 半年ほど前に肺に影が見付かったときには、半年の命だろうと医者から言われた。けれどこうして――体にチューブを繋がれながらも、息をしている。
 でも。父はなにか、変に潔くて――それは諦めと呼ぶには乾きすぎていて、僕の目からは残り少ない余生を穏やかに過ごそうとしているようにさえ見えた。

 身体中が痛いはずなのに。
 医者はその痛みを抑える為のモルヒネを、強いものに変えたばかりだというのに。

 けれど、僕は父の口から痛いとか辛いというネガティヴな言葉は、一度も聞いたことが無かった。僕には弱音くらい吐いても良いのに、とも思ったのだが。こうして父の穏やかな寝顔を見ていると、けれど、本当に父は何処も痛くも痒くも無いのではないだろうかという気さえして来る。

 或いは――受け入れた、という事かも知れない。
 普通、人が最も受け入れ難い事実を。自分が死ぬ、という未来を。

 開けていた窓から入って来た風が、カーテンを揺らした。
 時刻は既に夕刻になっていて。その所為か、その風も心なしか柔らかく感じられた。

「……来ていたのか」
 窓の外を眺めていた僕の背中から、父の声が聞こえた。
「ごめん、起こしちゃったか」
 僕は窓の外の、橙に染まる街の風景を眺めたまま答えた。
「いいんだ、もう随分と寝てばかりだからね」

 ようやく振り向いた僕に、父はそう言って笑いかけた。
 ――小さい頃に僕が悪戯をした時に見せた、少し困った様な笑顔だった。

「えっと、替えの下着はいつもの棚に入れておいたから。着た物はこれで全部? もう少ししたら洗濯に行くよ」

 どうしてだろう。なんだかその笑顔を見ていたくなくて、僕は流れた沈黙を破った。
 今の父は――今にも消えてしまいそうで。少し目を離した隙に、窓から差し込む落日の燈に溶けてしまいそうで。

「……敬輔」

 父の重たい口調に、嫌な予感を感じた。この先を訊いてはいけない。なぜかそう思い、僕は刹那、言葉を失した。
 けれど父は、僕に構う事無く、ゆっくりと言葉を続けた。

「敬輔――頼みがあるんだ」

 僕は息を呑んだ。
 窓の外では、病院の庭に植えられている向日葵が夕風に揺られていた。

「頼み? なんだよ、急に」
 僕は出来るだけ平静を装って、そう言った。あわよくば話題が逸れてくれるように、と願っていたのだけれど。
 けれど。そんな僕の思いとは裏腹に。父は少しの間を置いて言葉に重みを乗せ、僕の問いに僕が最も聞きたく無かった答えを返した。
 相変わらず穏やかな口調で。

「急なんかじゃないさ。それに急だとしても、もう時間が無いんだから急ぐのは当然だろう」
「時間が無いって……。そんな、縁起でも無い事言うなよ」
「なぁ、敬輔?」
「……なに」

 父は子供をたしなめるような優しく、けれど鋭さを持たせた視線でゆっくりと言葉を選んでいた。内心では嫌な予感で一杯で、動揺を上手く隠せているかも解らない僕は、その言葉をただ待つ事しかできなかった。
 例えば、遺言。
 妹を頼むだとか、お金はどうなっているだとか。今のうちに、意識がしっかりとしているうちに僕に伝えようとしていたとしても何ら不思議は無い。

 僕たちは父に全てを伝えてはいなかった。いわゆる告知はしていなかったのだ――けれど。子供でもあるまい。自分の置かれる状態や自分の体調について、考えを巡らせない筈も無いだろう。
 そして。その上での最近の妙に乾いた、諦観にも似た振る舞いを目の当たりにしていた僕には、到底父の口からポジティブな言葉を聞けるとは露にも思わなかったのだ。

「写真を――撮ってきて欲しいんだ」
「……え?」

 写真? 僕は少し呆気に取られて、そう答えた。父はそんな僕の心の内など見透かしたように少し悪戯っぽく笑うと、枕元の読書灯の置かれている小さなボックスの引き出しから一冊の本のようなものを取り出した。
 ハードカバーの小説よりも一回り大きなそれは、淡い空色の表紙をしていた。ところどころ擦り切れて色に濃淡があるのを見ると、どうやら随分年季が入っているようだ。
 父はその冊子を僕に手渡した。

「中を見ても?」
「うん。構わないよ」

 表紙を捲ると、最初のページにはこの本よりも古いと思わしき白黒の写真が収まっていた。なるほど、どうやらこの本はアルバムらしい。幾つかのページ毎に一枚の写真が収まっていた。後ろに進むほどに撮影された時期も新しくなるようで、途中からは母の姿も見受けられた。

「その写真の風景を、同じように写して来てくれないだろうか」
「……どうして?」
「大切な思い出だから。その写真は、その情景は」

 言うべき言葉が、見当たらなかった。
 そのセンチメンタルな台詞の所為もあったが、しかしそれだけではなく。
 父の表情が。
 ひどく優しげで、けれど痛みを窺わせるそれが。僕から返すべき言葉を奪ったのだった。

「もう、この目で見る事も叶わないだろうからね」
「そんなこと……」
「もう、いいよ。ありがとう」
「え……?」
「もう解っているから。今まで嘘を吐かせてごめんな、辛かったろう」

 なにを言っているんだ、と。笑い飛ばす事も、怒る事もできたろう。けれど、僕はそうは出来なかった。そんなことは思い付きすらしなかったのだ。
 思わず目線を逸らすと、いつのまにか窓の外では落日がビルの陰に隠れようとしていて、空に藍と茜のグラデーションを描いていた。小さな鳥の陰が帰路を急ぐように、ゆっくりと西へと流れて行った。

「だから、最期の願いだと思って。頼まれてくれないかな」
「そんなこと……」

 嘘かも知れない。
 カマをかけられているのかも知れない。
 何かを悟ったのだとしても、それはほんの一部なのかも知れない。

 ――けれど。

 けれど、父がそう言うのならば。それが父の望みならば。
「そんなこと言われたら……断れる訳無いだろ」
 ありがとう、と。僕の言葉に小さく返して父は柔らかく目を閉じた。
 どうやら話はこれで仕舞いのようだ。
 
 それでも暫くベッドの横に置かれていた丸椅子に腰を掛けてアルバムを眺めていた僕は、やがて小さく聞こえて来た父の寝息を背中に受けながら病室を後にする事にした。
 後ろ手で静かに病室の引き戸を閉め、ひとつ大きく息を吐く。廊下には患者や看護師の声が騒がしく折り重なり、それが妙に僕を安心させた。
 とにかく、家に帰ろう。
 そう思うと僕はスニーカーの先を病院の出口へと向けるのだった。
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