FC2ブログ

スポンサーサイト

------

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「父さんの夏休み」 03

20100809

 父の病室は三階の角の相部屋で、ベッドは四つある。けれど今、その部屋を使っているのは父一人だ。
 死期が近い患者がその病室に移されるという、そんな噂を耳にした事がある。なるほど、父がこの部屋に越してきてからというもの、長い闘病生活にピリウドを打ったこの病室の住人を僕は数人知っていた。
 父はそんなことは知ってか知らずか。穏やかに、只その引越しに応じた。
 
 ――無機質な白が、やけに気に障る部屋だった。

 僕は眠っている父を起こさないように、そっと窓を開けた。空調が効き過ぎていて少し肌寒いだろうと思ったからだ。
 窓を閉めていても聞こえていた蝉の鳴き声が、大きくなった。暑い空気と一緒に入って来た――存在を高らかに示すようなそれで、少しでも父の元気が戻れば良いのに。

 父はこの頃、元気を無くしていた。
 半年ほど前に肺に影が見付かったときには、半年の命だろうと医者から言われた。けれどこうして――体中をチューブで繋がれながらも、息をしている。
 でも。父はなにか、変に潔くて――それは諦めにも似ているけれど、そう呼ぶにはあまりに乾きすぎていて、僕の目からは残り少ない余生を穏やかに過ごそうとしているようにさえ見えた。

 身体中が痛いはずなのに。
 医者はその痛みを抑える為のモルヒネを、強いものに変えたばかりだというのに。

 けれど、僕は父の口から痛いとか辛いというネガティヴな言葉は、一度も聞いたことが無かった。僕には弱音くらい吐いても良いのに、とも思ったのだが。こうして父の穏やかな寝顔を見ていると、けれど、本当に父は何処も痛くも痒くも無いのではないだろうかという気さえして来る。

 或いは――受け入れた、という事かも知れない。

 開けていた窓から入って来た風が、カーテンを揺らした。
 時刻は既に夕刻になっていて。その所為か、その風も心なしか柔らかく感じられた。

「……来ていたのか」
 窓の外を眺めていた僕の背中から、父の声が聞こえた。
「ごめん、起こしちゃったか」
 僕は窓の外の、橙に染まる街の風景を眺めたまま答えた。
「いいんだ、もう随分と寝てばかりだからね」

 ようやく振り向いた僕に、父はそう言って笑いかけた。
 ――小さい頃に僕が悪戯をした時に見せた、少し困った様な笑顔だった。

「えっと、替えの下着はいつもの棚に入れておいたから。着た物はこれで全部? もう少ししたら洗濯に行くよ」

 どうしてだろう。なんだかその笑顔を見ていたくなくて、僕は流れた沈黙を破った。
 今の父は――今にも消えてしまいそうで。少し目を離した隙に、窓から差し込む落日の燈に溶けてしまいそうで。

「……敬輔」

 父の重たい口調に、嫌な予感を感じた。この先を訊いてはいけない。なぜかそう思い、僕は刹那、言葉を失した。
 けれど父は、僕に構う事無く、ゆっくりと言葉を続けた。

「敬輔――頼みがあるんだ」

 僕は息を呑んだ。
 窓の外では、病院の庭に植えられている向日葵が夕風に揺られていた。

コメント

非公開コメント
プロフィール

8

Author:8
機械音痴、方向音痴。

御連絡はこちらへ

名前:
メール:
件名:
本文:

読書カレンダー本棚
読んだ本を視覚的に再確認できるという面白いツール。 あまり胸を張ってお薦め出来るような本も読んでいないのですが。
だべり場、掲示板
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR
リンク

Pagetop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。