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「父さんの夏休み」 04

20100813

「頼み? なんだよ、急に」
 僕は出来るだけ平静を装って、そう言った。あわよくば話題が逸れてくれるように、と願っていたのだけれど。
 けれど。そんな僕の思いとは裏腹に。父は少しの間を置いて言葉に重みを乗せ、僕の問いに僕が最も聞きたく無かった答えを返した。
 相変わらず穏やかな口調で。

「急なんかじゃないさ。それに急だとしても、もう時間が無いんだから急ぐのは当然だろう」
「時間が無いって……。そんな、縁起でも無い事言うなよ」
「なぁ、敬輔?」
「……なに」

 父は子供をたしなめるような優しく、けれど鋭さを持たせた視線でゆっくりと言葉を選んでいた。内心では嫌な予感で一杯で、動揺を上手く隠せているかも解らない僕は、その言葉をただ待つ事しかできなかった。
 例えば、遺言。
 妹を頼むだとか、お金はどうなっているだとか。今のうちに、意識がしっかりとしているうちに僕に伝えようとしていたとしても何ら不思議は無い。

 僕たちは父に全てを伝えてはいなかった。いわゆる告知はしていなかったのだ――けれど。子供でもあるまい。自分の置かれる状態や自分の体調について、全く考えを巡らせない筈も無いだろう。
 そして。その上での最近の妙に乾いた、半ば諦観にも似た振る舞いを目の当たりにしていた僕には、到底父の口からポジティブな言葉を聞けるとは露にも思わなかったのだ。

「写真を――撮ってきて欲しいんだ」
「……え?」

 写真? 僕は少し呆気に取られて、そう答えた。父はそんな僕の心の内など見透かしたように少し悪戯っぽく笑うと、枕元の読書灯の置かれている小さなボックスの引き出しから一冊の本のようなものを取り出した。
 ハードカバーの小説よりも一回り大きなそれは、淡い空色の表紙をしていた。ところどころ擦り切れて色に濃淡があるのを見ると、どうやら随分年季が入っているようだ。
 父はその冊子を僕に手渡した。

「中を見ても?」
「うん。構わないよ」

 表紙を捲ると、最初のページにはこの本よりも古いと思わしき白黒の写真が収まっていた。なるほど、どうやらこの本はアルバムらしい。

「中には何枚かの写真が収まっている」

 父の言葉に僕はページを進めてみた。父の言う通り、幾つかのページ毎に一枚の写真が収まっていた。ページを捲るほどに撮影された時期も新しくなるようで、途中からは母の姿も見受けられた。

「その写真の風景を、同じように写して来てくれないだろうか」
「……どうして?」
「大切な思い出だから。その写真は、その情景は」

 言うべき言葉が、見当たらなかった。
 そのセンチメンタルな台詞の所為もあったが、しかしそれだけではなく。
 父の表情が。
 ひどく優しげで、けれど痛みを窺わせるそれが。僕から返すべき言葉を奪ったのだった。

「もう、この目で見る事も叶わないだろうからね」
「そんなこと……」
「もう、いいよ。ありがとう」
「え……?」
「もう解っているから。今まで嘘を吐かせてごめんな、辛かったろう」

 なにを言っているんだ、と。笑い飛ばす事も、怒る事もできたろう。けれど、僕はそうは出来なかった。そんなことは思い付きすらしなかったのだ。
 思わず目線を逸らすと、いつのまにか窓の外では落日がビルの陰に隠れようとしていて、空にグラデーションを描いていた。小さな鳥の陰が帰路を急ぐように、ゆっくりと西へと流れて行った。

「だから、最期の願いだと思って。頼まれてくれないかな」
「そんなこと……」

 嘘かも知れない。
 カマをかけられているのかも知れない。
 何かを悟ったのだとしても、それはほんの一部なのかも知れない。

 ――けれど。

 けれど、父がそう言うのならば。それが父の望みならば。
 僕に言える言葉は、ただひとつしか無かった。

「そんなこと言われたら……断れる訳無いだろ」
 ありがとう、と。僕の言葉に小さく返して父は柔らかく目を閉じた。
 どうやら話はこれで仕舞いのようだ。
 
 それでも暫くベッドの横に置かれていた丸椅子に腰を掛けてアルバムを眺めていた僕は、やがて小さく聞こえて来た父の寝息を背中に受けながら病室を後にする事にした。
 後ろ手で静かに病室の引き戸を閉め、ひとつ大きく息を吐く。廊下には患者や看護師の声が騒がしく折り重なり、なぜかそれが妙に僕を安心させた。
 とにかく、家に帰ろう。
 そう思うと僕はスニーカーの先を病院の出口へと向けるのだった。

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