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(sideA-3) moonlight sonata

20100827

 早川薫(はやかわかおり)。
 生まれつき言葉が話せないという彼女が外国のコンクールで金賞を取った昨年、その端正な容姿、そして現役の音大生という若さもあってだろう、マスコミは挙ってそれを取り上げた。

 それは同じマスコミュニケーションを稼業にしている僕から見ても、早川薫が少しだけ気の毒に思えるように、祭り上げると呼称しても過言では無いように捉えられた。
 キー局はこぞってドキュメンタリー番組を制作し、週刊誌は彼女の知人を捕まえては過去の美談や苦労話を記事にした。

 そんな数々のひとつに、僕が今も憶えているものがある。

 なにが早川さんをそこまでさせるのでしょうか? 過酷とも言える練習内容について、タレントアナウンサーがテレビ番組の取材でそう問うた時の彼女の返答が、やけに印象に残ったのだ。
 ――私は音楽でしか人に何かを伝えられませんから。
 彼女はなんでもない、と言うように笑って。手話でそう答えたのだった。
 悪気があった訳ではないのだろう、けれどアナウンサーは笑顔を張りつかせたまま凍りついてしまっていた。

 僕はそのインタビューを眺めながら、青い炎ほど高温だという話を思い浮かべていた。

 一見クールで淡々としているように見える早川薫だが、内に秘めたものは並大抵ではないのだと感じたのだ。
 言葉が話せないということが彼女の、僕の様な凡夫には想像もつかない領域のストイックさの背景にあるのだろう。

 しかもそれを当然だと思っているように見えたのだから、僕はなにか恐怖めいたものさえ感じた。
 ニコロ・パガニーニは魂を悪魔に売り渡してヴァイオリンの超絶技巧を手にしたと言われたが、彼女もまた何かを無くしてしまった様な、そんな怜悧さが――青い炎を僕に想起させたのだ。
 そして彼女が演奏するピアノも、何か奥底で静かに燃え上がる様な、せり上がって来るような。そんな逼迫した音を奏でていた。

「しかし。彼女のコンクールの演奏をテレビで見ましたが、凄かったです」
 ベートーヴェンピアノソナタ第十四番、「月光」。
 約十六分の間、テレビから目を離すことが出来なかった。
 惹き込まれた。

 そして。

 あいつも――『彼女』も、あのまま音楽を続けられていれば、こんな風に世間の注目を浴びていたのだろうかと。
 そんな事を、思った。

「うん。早川さんは、本物の天才だと思うよ」
「先輩だって」
 という僕の言葉を視線で遮って先輩は続けた。
「わたしだってそれなりにプロとしての自覚も、プライドもあるよ。でも」
 先輩は手許のグラスの琥珀色を眺めながら少し間を取った。

「でも――聴いたんでしょ? 早川さんの演奏」
「はい、月光を」
「あれはずるいよね。三楽章をあのテンポで余裕を持って、一音一音が綺麗で……」

 とんとんとんとんとん。
 先輩の両手がカウンターの上を滑る。
 月光を弾いているのだろう。

「あれで二十歳でしょう? これからどんどん伸びていくよ」

 ミスタッチをしたのだろうか、先輩が小さく舌打ちをする。
 僕は月光なんて弾けない、と笑うのも。先輩と早川薫の楽器が違う事を指摘することも間違った選択肢だ。
 僕は彼女たちのように音楽のプロではないし、その土俵に立つ者同士が解るものもあるだろうからだ。
 けれど、他に何と声を掛けて良いのかも解らずに僕は黙ったままでいた。

 横目で先輩を見ると、しかし、愉快そうに笑っていた。
「だから」
 先輩はその笑顔のまま僕を向いて言う。
「折角わたしが早川さんの生演奏を聴かせてあげるっていうんだから、もちろん来るわよね?」
「招待席の中でもとびきりの良い所でお願いしますよ」
 そう僕はおどけてみせた。
 小さなバーに先輩の笑い声が響いた。

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