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「ラストシーン」 p3

20100717

「あ、名前を言って無かったよね。私は遠野美月(とおのみづき)。これから一緒に頑張ろうね」

 三年前、私が弓道部に入部したばかりの頃。同じ新入部員だった美月から私に初めて掛けられた言葉は、何も変哲も無いものだった。しかし私は彼女の小奇麗な装いや立ち振る舞いに、一目で好感を持った。
 
 そしてそれは何も私に限った事では無かった――当然ながら。
 
 先輩や同級生、そして後に入部してきた後輩も。その誰もが美月の、笑った時に出来る小さな笑窪や、的を見据える時の真剣な表情や、その思い遣りある言動に好感を持ったのだ。
 しかも。中学でも弓道をかなり真面目にやっていたらしく、一年生のうちからその実力は周囲の認めるところだったのだから、正に“非の打ちどころが無い”とはこういう人の事を言うのだと私はぼんやりと考えていた。

 快活。聡明。容姿端麗。

 上級生になってからというもの、美月の真似をして髪形をショートカットにした後輩も数多く存在した。
 およそ十名の後輩たちが、ある日急に肩まであった髪を短くして弓道場に現れた訳なのだが、この“十”という数字は、そう人数の多くなかった女子弓道部に於いてはかなりの割合を占める事になるのだ。

 向日葵のような人だと思っていた。
 そこに居るだけで場の雰囲気がぱっと明るくなるような、そんな良く出来た同級生、良く出来た部活仲間だった。

*

 私と美月は家の方向が同じだったので、練習が終わるといつも一緒に帰路に着いていた。
 二人で自転車を押して海岸通りを歩き、沢山の話をした。部活の事や、勉強の事、将来の夢や、気になる男の子の話など、美月と一緒に居ると幾らでも話題は見付かった。

「ねぇ、沙織?」

 ある日の帰り道――あれは確か、最高気温が三十五度にも達しようかという、茹だる様な夏の日だった。
 夕刻になってもまだ熱を帯びたコンクリートの防波堤に腰掛けていた私たちは、落日が水平線に沈もうとしているのを眺めながら、コンビニで買ったアイスを食べていた。

 どうしたの、と私が言っても彼女は黙ったままだった。美月が言葉を言い淀むのは珍しいことなので私はゆっくりと待とうと思い、美月に遣っていた目線を正面に戻して、ぼんやりと夕暮れの海を眺めることにした。

 空を低く飛ぶカモメの鳴き声と、潮の香りがとても心地よい。

「私ね、弓道辞めようかと思っているんだ」
 美月から唐突に告げられた言葉に驚いて、私は少しの間、言葉を返す事が出来なかった。

「美月。それ、本気で言っているの……?」
 私が漸く言葉を振り絞ると、美月は少しだけ泣きそうな顔で、ゆっくりと頷いて見せた。

「だって――。私たち、やっと二年生になって。美月は団体戦のメンバーにも選ばれて。なのに、なんで……」

 そうなのだ。下積みの一年間――実力者の美月でさえひたすらゴム弓を引き続けた一年間が終わり、私たちは漸く二年生になったのだ。
 しかも一学期の定期試験も終わり、梅雨も明けていよいよ夏本番という時期である。
 これからは嫌と言うほど弓を引けるし、合宿もあれば、大会もあるのだ。
 待ちに待った部活動の本番に差し掛かろうというこの時期にどうして、という私の考えは見当違いだった訳では無いだろう。

 けれど。

 私がそれらの想いを足りない言葉で語れば語るほどに、美月の心を傷付けてしまっていた。
 私が伝えようと――必死に説得をしようとした内容など、美月が理解をしていない筈が無い。
 聡明で思いやりの深い美月が、自分が退部をすることで掛ける迷惑に心を苦しめて居ない筈はなかったのに。

「私ね」
 最早すっかり混乱をしてしまい、矢継ぎ早に説得を繰り返していた私の言葉を静かに遮って、美月は言った。
「もう、大丈夫だと思ってたんだけど、やっぱり駄目だったんだ」
「もう駄目って、何が……?」
「中学の頃に痛めてた肘が、治りきって居なくて。今まで騙し騙しやっていたんだけれど――もう、思うように弓も引けないんだ」

 驚いた。

 美月が怪我を隠していたこと。恐らく今まで誰もそれに気が付いていなかったこと。
 そして、美月が私の前で初めて涙を流したことに――何よりも驚いたのだ。

「美月……」

 私は必死に涙を堪える美月の横顔を見遣った。
 頬を流れる一粒の涙に、洛陽の橙が反射したように見えた。

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